淡路島(あわじしま)の南東部(なんとうぶ)にある紀(き)淡(あわし)海峡(かいきょう)に面(めん)している由良(ゆら)・生石(いきいし)公園(こうえん)は由良(ゆら)海釣り(うみづり)公園(こうえん)などがあり、名所(めいしょ)の淡路(あわじ)天橋立(あまのはしだて)(淡路(あわじ)橋立(はしたて)・成(なる)ヶ島(じま))を見下ろす(みおろす)場所(ばしょ)にあります。この風景(ふうけい)は洲本(すもと)八景(はっけい)にも指定(してい)されており、淡路(あわじ)天橋立(あまのはしだて)、友(とも)が島(しま)と紀伊(きい)水道(すいどう)、和歌山(わかやま)・紀伊(きい)半島(はんとう)から太平洋(たいへいよう)までを一望(いちぼう)することが可能(かのう)です。生(せい)石山(いしやま)は桜(さくら)や梅(うめ)の名所(めいしょ)として知ら(しら)れています。ここから由良(ゆら)の海岸(かいがん)に降りれ(おりれ)ば海水浴場(かいすいよくじょう)やキャンプ場(きゃんぷじょう)、由良(ゆら)海釣り(うみづり)公園(こうえん)がありバーベキューや海釣り(うみづり)、初夏(しょか)には海岸(かいがん)で潮干狩り(しおひがり)といったことを楽しむ(たのしむ)ことが可能(かのう)です。この紀(き)淡(あわし)海峡(かいきょう)は昔(むかし)から大阪湾(おおさかわん)防衛(ぼうえい)の要(よう)として重要視(じゅうようし)され、生(せい)石山(いしやま)にはかつての日本(にっぽん)陸軍(りくぐん)が要塞(ようさい)を、成(なる)ヶ島(じま)には由良(ゆら)成山(なるやま)城(しろ)を築き(きずき)今(いま)も砲台(ほうだい)跡(あと)や要塞(ようさい)の遺構(いこう)が残り(のこり)その面影(おもかげ)を残し(のこし)ています。1854年(ねん)(安政(やすまさ)元年(がんねん))にロシアの使節(しせつ)プチャーチンがディアナ号(ごう)という軍艦(ぐんかん)で大阪湾(おおさかわん)に来航(らいこう)するという事件(じけん)が起き(おき)ました。大阪湾(おおさかわん)は内海(うちうみ)であるため、他の(ほかの)場所(ばしょ)と比較(ひかく)すると安全(あんぜん)であると考え(かんがえ)られていましたが、ロシアの軍艦(ぐんかん)の来航(らいこう)により、江戸(えど)幕府(ばくふ)は京都(きょうと)御所(ごせ)防衛(ぼうえい)のため大阪湾(おおさかわん)沿岸(えんがん)周辺(しゅうへん)を海岸(かいがん)防備(ぼうび)体制(たいせい)の重点(じゅうてん)地区(ちく)とし、紀州(きしゅう)加太(かだ)浦(うら)〜友(とも)ヶ島(じま)と友(とも)ヶ島(じま)〜淡路(あわじ)由良(ゆら)、明石(あかし)海峡(かいきょう)の最(さい)狭(せま)部(ぶ)である淡路(あわじ)岩屋(いわや)・松帆(まつほ)〜明石(あかし)・舞子(まいこ)に砲台(ほうだい)を築く(きずく)ことになりました。これが名所(めいしょ)の神戸(こうべ)舞子(まいこ)砲台(ほうだい)です。兵庫県(ひょうごけん)で最南端(さいなんたん)の阪神(はんしん)淡路(あわじ)大震災(だいしんさい)メモリアルモニュメントが生(なま)石山(いしやま)の西(にし)にある洲本市(すもとし)由良町(ゆらちょう)熊田(くまだ)にあります。この場所(ばしょ)は震災(しんさい)の後(あと)、震災(しんさい)で発生(はっせい)した廃棄物(はいきぶつ)を埋め立て(うめたて)た場所(ばしょ)であり、廃棄物(はいきぶつ)を使っ(つかっ)て日時計(ひどけい)「時(とき)のしらべ」が作ら(つくら)れ、「1995年(1995ねん)1月(1がつ)17日午前(にちごぜん)5時(じ)46分(ふん)、平和(へいわ)な日々(ひび)をくつがえした阪神(はんしん)大震災(だいしんさい)。よもやと思い(とおもい)つつ、現実(げんじつ)なんだと思い返す(おもいかえす)今(いま)、日常(にちじょう)の大切さ(たいせつさ)を感じる(かんじる)。ここにその記念(きねん)としてモニュメントを建造(けんぞう)する」と記(き)されたプレートが設置(せっち)されています。
コラーゲンは保湿効果がある成分であるため、肌の真皮にあるコラーゲンが不足すると、シワやたるみの原因になってしまいます。